擬人化で売れた人形


(6:44 始め)ある婦人服と雑貨の店での出来事。この店であるとき清掃中に、売っている人形を落として壊してしまった。足の部分が粉々に割れてしまい売り物にならない状態だった。何とか接着剤で修繕したものの、明らかにキズもの。そこで店ではキズものであることを明示し。さらにPOP広告にこう書いた。
 「私は人形です。オリンピックを目指して体操の練習をしていました。平均台から落ちて足を負傷。手術は成功。夢は実現しませんでしたが、第二の目標でがんばります。こんな私ですが、お友達になってくれませんか?」 
 すると来店した五十代のご婦人がこのPOPを見て「人形を二体ください」といった。女性スタッフが「一体は不良品ですので、一体しかありません」と応えるとそのお客様はこう返した。「いいんです。怪我した人形も含めて、二体欲しいんです」そうして彼女は二体の人形とともに、ここに張られていたPOPまでも一緒に買っていった。もちろん二体とも「定価」である。
 ささやかな事例だが、私はこうした瞬間に売るということの本質を、商売の真髄をみる。この場合、人形の足が壊れていることを、お客さんは知らずに買ったわけではない。この人形だからこそ欲しいと感じたのだ。しかし、彼女は「人形」を買ったわけではない。このPOPに書かれたメッセージと、自分のなかにある思い出が共鳴したのかもしれない。メッセージと思い出が出会ったときに生まれる「価値」にお金を出したのだ。 店主はこれ以来商品を擬人化して、生き物と考えるようになったという。これもいい見方だ。商品が自分と共鳴するお客さんへ語りかけるメッセージ。それがまた「売る」ということの本質の一面を物語っているからである。(7:00 終了)(16分かかった)(16775)