●鹿児島冒険記●


…忘れもしない
  あれは7年前の夏

鹿児島のおじさんがなんの氣なしに言った一言、


「埼玉からここまでママチャリで帰って来んといかんねぇ アハハッ」


その時は一緒に笑っていた僕…

しかし、
胸の中では1本の旗が静かに、そして確実に立っていた…


『鹿児島までママチャリで帰ろう。』


その旗を立ててから時間は静かに流れていった…

そんな18歳の自分との約束を守る為、
2007年12月30日

鶴田出発。
アッシーとゆう相棒と共に。

リュックサックに詰め込んだ
『夢』と『希望』

それだけを信じて走った18日間…

雨にも降られた

激しい向かい風にも吹かれた

数十キロ何もない真っ暗な道をただただ進む事もあった


アッシーも僕もボロボロになりながら進んだ…

でも不思議な事に、
辛いという氣持ちは全くなかった。

全くと言ったら嘘になるかもしれないが、
投げ出したいという氣持ちはほんとになかった。

なぜなら、
走っていたのは僕とアッシーだけではなかったから。


見ず知らずの僕とアッシーを泊めてくれた日光の家族

楽しいお正月を過ごし、色々助けてもらった浜松の家族

たくさん心配してくれる茨城の家族

箱根まで逢いに来てくれた仲間

前の会社の人達

ブログで応援してくれたみんな

そして、僕を生み育ててくれた家族


そんな多くの人達のおかげで走っていたから

そんな多くの人達が追い風になって僕らの背中を押してくれたから

だからどんな道も走れた
どんな峠も
どんな状況も
全部乗り越えられた


地図上では小さい小さい僕らのひと漕ぎ

しかし、青春の1ページではとても大きなひと漕ぎでした


正直、ただの1度だけ不安になった事がありました。
それは、出発して1時間後の事でした。

横殴りの風に強い雨、台風のような通り雨が降ったのです。

その時、天国のじいちゃんとばあちゃんが僕を止めようとしているのだと思いました。

「不安」…

この2文字で頭の中が一杯になりました。

だいたいよく考えたら埼玉から鹿児島をチャリで行くなんて…

しかもチャリの知識が全然無い自分が…

しかもママチャリ…


そんな弱い氣持ちになった僕…


しかし、
無理矢理、意地で走り始めました

その結果、僕はひとまわり大きくなれた

道のおかげ、
みんなのおかげで。


 ここ出水市という地は、毎年冬に遠いシベリアからたくさんの鶴が飛んで来ます。
そして春になるとシベリアに帰って行きます。
そんな出水で生まれた鶴田が、
この寒い冬に、
アッシーという翼で帰ってくる事は
定めだったのかもしれません。



そしてばあちゃん達の笑顔。
ゴールテープを切る事が出来た。

これから先、無いとは思うけど
悩んだり、
迷ったり、
弱い自分になる時がくるかもしれない。

そんな時、何事にも負けなかったアッシーとの18日間を思い出し
全力で
前だけ見て
ひとこぎひとこぎ
頑張ります。


そして、
僕とアッシーを支えてくれた全ての人達へ

『ありがとう』


最後になりましたが、
一つだけ言いたい事があります…



鹿児島へは飛行機で行った方がいいよ♪
(笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑)

じゃあ皆さんさよーなら!!!!!

2008年1月17日
鹿児島県出水市より
鶴田・アッシー